バガバットギータについて
少し前、バガバットギータについて
問合せをもらったので、
それについて今日は話したいと思います。
ヨガのバイブルとして、
ヨーガスートラ、
ハタヨガプラディピカーと並んで学ばれる事も多い、
バガバットギータ。
日本語訳の本もあるけれど、
いくら読んでもちっとも話を理解できないという方も多いと思います。
バガバットギータは、
先の二つの古典とは異なり、
マハーバラタ(インドの神話)の中の一部であるという大前提を
知らない方もいらっしゃるようです。
なので、突然読み始めると背景を理解できずに
???
となるのではないでしょうか。
バガバットギータは、
とある王国で王族同士の利権争いによって
はじまった戦争「クルクシェートラの戦い」を舞台としています。
その中で、戦う事になった王族(親戚同士の争い)
(PANDAVAS)パンダバス軍と(KAURAVAS)カウラバス軍の戦いに際し、物語の主人公であるアルジュナ(ARJNA)が神の化身であるクリシュナに助言をもらいながら戦士として戦いに挑むまでの苦悩や気づき等を会話形式で18章、合計700の言葉(詩)にまとめたものです。
なぜそれがヨガのバイブルなのかというと、
著者であるVIYASAが各節ごとに「YOGA」という言葉を使い、
さまざまなヨガの定義や考え方を記しているからです。
インドでは、
ウパニシャットやヴェーダンタと言われる教えは一般に
上位カーストの人でしか学ぶ事が出来ないとされてきました。
けれどもバガバットギータはカーストに関わらず、
学ぶ事ができたようです。
会話形式で他の文献と比較し、
分かりやすく、
同じことをリピートし繰り返し説いてくれています。
また葛藤や迷い、
苦悩など私たちの人生に照らし合わせて学べるテーマでもあるため、
人生に照らし合わせて考えやすく、
学びやすい文献の一つとされています。
第1章では戦士アルジュナの「悲しみ」「苦しみ」から物語が開始します。戦いを前にアルジュナがどうして親戚やお世話になった方々と対峙して戦わなくてはならないのかとクリシュナに問います。そして戦いたくないというのです。
第2章からが具体的なクリシュナの教えになります。
動揺し、戦いという行動を放棄してしまったアルジュナに対し、
クリシュナはさまざまな角度から教えを説いていきます。
魂と肉体は別であるということ。
行動の結果に執着する事なく、行動に集中しマインドを安定させる事
人生成功(Siddhi)や失敗(asiddhi)を同じように受け取る事。等を説いていきます。
第2章で執着について具体的に書かれている節がいくつかあります。
その中の1つ、2章62節では、
「対象について考え始めた瞬間から、私たちの執着がスタートし、欲望が起こりそれが怒りとなる」と書かれています。
誰かに恋し、気になる人が出来たとき、その人の事を考え、想像し、手に入れたいと欲が出てくる。
欲が満たされなければ、、、
対象は別に人だけでなく、
ただのお菓子や仕事の権威、テレビのチャンネル争いとか
なんでもいいですよね。
我が家の3歳児。
保育園からの帰り、お菓子食べたいとか公園に遊びにいきたいとか
良く言います。でもそれが達成しないときものすごくいつも怒っています。
そして怒っているとき、
2章63節でこう書いています。
Krodha(怒り)の状態になると、
物事を正しく見る事ができず、妄想や誤解を生み
間違った記憶となり聡明さを失う。
まさにその通り。
欲望に任せて怒っている
我が子。
かなり大変です。笑
瞬間湯沸かし器に見たいに、
怒り、泣きだします。
もちろん子ども時代、私もそうでした。笑
第3章では、
行動の結果に執着せずどのように行動するのか、
カルマについて具体的に説いています。
行動に対して迷いがなければ、私たちのマインドはクリアで知識が生まれるというもの。
これはヨーガスートラでも説かれているabhyasa vairagyan
コンセプトと同じ事を行っているなと。
そして執着やエゴを持たず、
家族や祖先、全てに奉仕する気持ちで行動する(働く)こと 3章8節
少し前の記事にも書いたけれど、
エゴ=asmitaは私たち自身を苦しめるものだと思います。
そしてそれらの苦しみが全て、
(avidya)無知から来ているということを
理解しなくてはいけないと。
今日はここまで。
私もまだまだ勉強中です。
無知やエゴを努力して減らしていきたいと思います。
2019年から新シリーズやりますよ!
2月も残り半分。
梅もう咲き始めてますね!
気持ちや行動が上手く行かない時も、
結果に振り回されず、
ピュアな気持ちで行動を続けなさいと
クリシュナに教えられている気がします。
春はもうそこまで来てますね。
良い動機に基づく行動は良い結果を生む(ヨーガスートラ2−14)